気の毒なほど痛みに弱い母が親知らずを
抜いたため、お夕食をお弁当にした我が家。
たまたま弟や義弟も来ることになっていたので、
とんかつ屋さんのお弁当を頼むことにしました。
そのお店に行くにはかかりつけだった獣医さんを
通ることになるため、母が「あなたに行かせるのは
いろいろ思い出してしまって辛いだろうから申し訳
ないんだけど、よろしくお願いね」と涙ぐんでいました。
ジークが旅立ってから通らないようにしていた道。
ある交差点で赤信号で止まった時に、通院した日々、
特に、ラインの最期の24時間で気を失ったラインを
連れて行った時のこと、痙攣発作を起こしたジークを
連れて行った時のことをかなり鮮明に思い出しました。
急いでいるのにこの信号で足止めされたよね、とか。
左手はラインに、ジークに触れながら、そして、たくさん
話しかけながら猛スピードで運転したなぁ、とか・・・。
まだラインが皮下点滴を受けていた頃のことですが、
ラインの病院帰りに今日と同じようにとんかつ屋さんへ
寄った時、すい臓を悪くしていたラインは油の臭いで
気持ち悪くなってしまったのか、動くのも辛かったはず
なのに一生懸命後ろへ移動して嘔吐していた事とか。
(その夜、父からしっかりとんかつを貰っていましたが・・・。)
誰もいない助手席を眺めながら涙が流れました。
いつも助手席にいたジーク&ライン(昨年9月撮影)↓
ジーク&ラインが快適に過ごせるようにと内装を
整えていた車ですが、乗るたびに目に入ってくると
辛いので、今はもうすっかり、普通仕様にしています。
助手席のシートカバーももうありません↓
まもなくジークの四十九日を迎えます。落ち着いて
きたように見えて、まだまだ悲しみは癒えません。
癒す必要もないのかもしれませんが・・・。
悲しみを抱えながらも進んでいけたらと思います。