ジーク&ラインとピアノ弾きのゆったりLife

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記録:ラインの最後の1日

今日はラインの四十九日です。

 

もう49日なのか、まだ49日なのか分かりませんが・・・。

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先代犬の時に倣い、ラインのお骨は本来なら今日、

記念樹とともにお庭に埋めるつもりでいましたが、

ジークの忌明けを待つことになりました。たぶん、

2人とも一緒にいたいと思っているでしょうから・・・。

 

忌明けの今日は、ラインのお別れに来てくださった

犬友達と茶座さんの飲茶へ行くことにしていたので、

直接お礼をお伝えすることができて良かったです。

 

今日は、四十九日に記録として書こうと思っていた、

ラインの最後の1日の様子を追記に綴ろうと思います。

 

どうしてだか分かりませんが、このことは書かなくては

いけない!とラインが亡くなった直後から思っていたので・・・。

 

病気のことや排泄のことなども書きますので、

苦手な方は続きはご覧にならないでくださいませ。

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11月23日はいつもどおりに、ラインと私は居間で

朝を迎えました。様子も特に変わりはなかったです。

 

その日、ジーク&ラインと私は3人で留守番でした。

 

遠い親戚が亡くなって祖母にだけはどうしても参列

して欲しいと連絡があり、認知症の祖母を関西まで

1人で行かせられず、両親が付き添ったためです。

 

この日は祝日でしたが、前日に獣医さんから「具合が

悪そうなら12時に連れて来て」と言われていました。

 

ラインはいつもどおりだったので連れて行かずに

いましたが、13時半頃にお庭へ行こうとして段差を

降りたところで、ラインがクシャッと崩れ落ちました。

 

吐きたかったようなので抱きかかえて庭へ連れ出し

ましたがラインは立つことができず、倒れたまま

のけぞるような体勢で嘔吐しようとしていました。

 

この症状は点滴のために病院に預けて一時的に

気を失ったのと同じだと思いました。出発しようと

するころには崩れ落ちる前の状態に戻りましたし、

獣医さんがご在宅かは分かりませんでしたが、

診ていただくべきだと思い、車を走らせました。

 

お出かけになる直前の獣医さんにお会いでき、

吐き気止めの注射をしていただき、帰宅しました。

 

帰宅後のラインは、少し気分が良くなったのか

「お庭に出たい」とアピール。お庭に連れ出すと、

時々歩いて移動しながらお庭を楽しんでいました。

 

その時の写真。生前最後のものです↓

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夕方になって肌寒く&薄暗くなったから身体に

障ってはいけないと思って私がラインを家に連れ

戻すまで3時間以上、お庭で過ごしていました。

 

今思うと、大好きだったお庭を目に、耳に、鼻に

焼き付けておこうとしていたのかなと感じます。

 

とても幸せそうでした。

 

20時頃、両親と祖母が帰ってきたもののラインは

ほとんど反応せず。前日までは誰かの帰宅時には

一生懸命迎えに行ったり顔を上げたりしていたのに・・・。

 

そんなラインの様子を見て父が「ライン、きつそうだぞ。

病院へ行った方がいいんじゃないか」と言い出しました。

 

そんな中、本来ならジーク&ラインと私も参加予定

だった九州旅行からの帰路に、我が家へのお土産を

届けるためにメル家ご夫妻がお越しくださいました。

 

遠くから聞こえるメルちゃんとルイちゃんの声に反応し、

顔を上げたライン。お友達が来たことを感じてほしくて、

ラインを抱っこしてメル家ご夫妻にお会いしました。

 

お会いしている時には頭を持ち上げることもできない

状態だったので、その後すぐに父も一緒に獣医さんへ。

 

もう自分では立てない状態だったと思います。

 

祝日の夜間と、とんでもなくご迷惑な時間でしたが

すぐに診てくださった先生。容態をお尋ねすると、

「あまりよくないです」と小声でおっしゃいました。

 

私は「もうお別れが近いんだ」と覚悟しました。

 

強心剤も加えた点滴を24時間続けることに

なりましたが、ラインを入院させられないので、

輸液ポンプをお借りしラインに繋いだまま帰宅。

 

排尿があるかどうかチェックするように言われて

いましたが、帰宅時にしてくれて一安心したのを

覚えています。それが最後になったのですが・・・。

 

これまで1日を過ごしていた居間で点滴するのは

ハイハイやつかまり立ちをするようになっていた

甥が機器やチューブを触って危ないので、父が

大急ぎで、使っていなかったケージを駆使して

ライン専用スペースを食堂に設置してくれました。

 

23時過ぎには全ての準備が整い、ほっと一息。

 

・・・と思いましたが、ラインが寝たまま排便しました。

 

「もう立てないんだな」と思うと悲しくなりましたが、

綺麗好きなラインが家の中でそうしてしまったことに

本人が一番ショックを受けているだろと思いましたし、

自分が寝ている場所から臭いがするのはイヤだろうと

思ったので、身体には堪えるだろうと思いましたが、

父と2人で輸液ポンプやベッドごとラインを浴室へ

連れて行き、シャワーできれいに流しました。

 

日付が変わった頃、両親はいつものようにジークと

2階へ。私はラインのすぐ横に布団を敷いて就寝。

 

といっても、その後ラインは二度ほど排便したので

シャワーは無理でも身体を拭いたりシーツの処理を

したりしていたので、眠ると言う感じではなかったです。

 

2時過ぎくらいから、ラインがいろいろな鳴き声で

鳴き始めました。小さな声だったので夢を見た時に

時々ある寝言かなと思い、ラインを撫で、小声で

いろいろと話しかけながらそのまま過ごしていました。

 

しばらくして3時半くらいに、ラインが急に大きな声で

「ワンワン!」と吼えました。先代犬も亡くなる前夜に

一吼えして家族を集め、お別れの挨拶のように皆を

じっと見つめ、朝には亡くなっていたことを思い出し、

ラインにもその時が来たのかもと両親を呼びました。

 

両親も私も、ラインをたくさん撫でながらたくさん

話しかけました。そんな私達をラインはじーっと

見つめてくれていました。きっと「ありがとう」と

「さようなら」を伝えてくれていたのだと思います。

 

ラインの様子が落ち着いたので、父がラインの

体位変換をした後、両親は2階へ戻りました。

 

父が体位変換をしてくれたおかげで、ラインと私は

近い距離で見つめあって眠れるようになりました。

 

その時のラインは、本当に可愛いお顔をしていました。

 

写真に収めたい気持ちもありましたが、もうすぐ

お別れかもしれないのにラインが大嫌いな写真を

撮ってはいけない、私の記憶に焼き付けるべきだと

感じたので、ラインから目をそらさずに過ごしました。

 

ラインの呼吸を確認するように胸やおなか辺りに

左手を置き、ラインと見つめあってウトウトしつつ

数時間過ごしているうちに空が白んできました。

 

休日だったこともあり、普段なら両親が起きてくる

時間になっても2人とも起きてこず、私もウトウトを

続けていた時、ラインの呼吸が止まったのを感じました。

 

「ライン!、ライン!」と何度か呼びかけましたが、

私1人で看取ってはいけない気がしたので、「ライン、

すぐに戻ってくるからね」と声をかけ、私は2階へ。

 

3人で急いで降りてきて、ラインを撫でながら

たくさんの感謝の気持ちとさよならを伝えました。

 

朝7時半過ぎのことでした。

 

老衰で亡くなった先代犬は脚が弱って歩けなくなっても

2週間は頑張ってくれたので、ラインにももう少し時間が

残されているかもしれないと家族は思っていたようですが、

誇り高いラインは半日も経たないうちに逝ってしまいました。

 

自分のことは自分でできる僕のことを覚えていてほしい、

という気持ちと、家族がたくさん集まれる日に逝きたい

という気持ちで、この日を選んで旅立ったのだと思います。

 

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ここまで書いてきても、なぜ私はラインの

最後の日について書かなくてはいけないと

思ったのかはよく分かりません。

 

書きながらまたたくさんの涙を流しましたが、

そのことに意味があったのかもしれません。

 

ライン、そちらにはジークも行ってくれたから

もう寂しくないかな? Sayakaお姉さんはまだ

とっても寂しいけど、頑張っているからね。

 

ライン、たくさんの愛をありがとう。

これからもずっと愛してるよ。